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私は当時東舞鶴から宮津市の水産高校に列車通学していました。当時の駅の記憶が今でも残っています。西舞鶴からは北近畿タンゴ鉄道でしたが駅で天ぷらそばを食べたり美味しかったなあ。今あるゴミ焼却場に当時東舞鶴の駅員をされてた方がいらっしるのですが声をかけたら喜んでご対応下さり懐かしい昔を思い返していました。エーデルなんて久しぶりに映像で拝見でき懐かしさ満載です。ありがとう。
昔は西舞鶴発名古屋行きの、急行大社、夏は東舞鶴発名古屋行きの急行エメラルドもありましたね😊
急行丹後8号、懐かしいです。網野発、京都行き。丹後の祖母宅から京都へ帰る時に、いつもこれに乗車して帰りました。京都発、網野行きの急行丹後1号が、折り返し急行丹後8号になりました。昭和の時代は高速道路も整備されておらず汽車で帰省する人が多く、GW、お盆、年末年始の時は急行丹後に乗るのに、始発駅である網野駅の外まですでに長蛇の列で人が並んでました。そのためGW,、お盆、年末年始は増結しても超満員で、当時の新聞にも乗車率260%と記載されてました。今も時々、もう一度乗りたいな~と思います。
もう25年前の映像になるのですね。少し先に家具の田中が見えて懐かしいです。暑い夏にディーゼルのやかましい音がさらに暑さを感じさせたものです。貴重な映像ありがとうございました。
コメントありがとうございます。キハ28の発電用エンジンの音がとにかくうるさかったですね😵できるだけキハ58を選んで乗るようにしてました。キハ58系は私の地元(松阪)でも当たり前のように走っていたんですが、引退してもう20年にもなります。
非電化、旧駅舎、キハ58だらけ…最高だ。
懐かしいまだ電化されてない小浜線急行もエーデル北近畿に鳥取あった懐かしい限りです。
8:17で現われる急行「丹後5号」。この後前2両はそのまま普通敦賀行き4943Dに化けますが、当時の時刻表を眺めたら実際にはこのもう1本後というか、10:51で現われる普通「北近畿リレー号」こと279D東舞鶴行き(4両で3番線に到着するが、前2両が東舞鶴行き)が、9:15で出て行った4943Dに東舞鶴で運よく追い付いて接続してくれるダイヤでしたよ。
エーデル北近畿が、懐かしい。スカイブルーとピンクを反転させた、エーデル鳥取もありました。
エーデル鳥取は、満席になることが多く、結局乗れませんでした。エーデル北近畿は1度だけ乗ったことがありますが、運悪く非パノラマ車でした。
キハ58系でオリジナルスタイルかつパノラミックウインドウでない車両は、車内の荷物棚が木綿製の網棚でしたが、いつ破損してもおかしくないという欠点があったため、後年これをステンレス網またはステンレスパイプに更新して耐久性の向上を図りました。またオリジナルスタイルでも福フチにいたキハ28 2441などの後期グループは木綿製の網棚ではなく、支持部分のみをステンレス製とし、網棚に架かる部分はプラスチックパイプを用いるという変わった構造でした(これは後年登場するパノラミックウインドウ車両にもそのまま受け継がれる)。
急行丹後は特急格上げで廃止になるまで、気動車急行のオリジナルスタイルを貫き通したので好きな列車でした。何度か乗りましたが内装は整っており、思ったほど古さは感じなかったように思います。
急行丹後のバケット使用のボックスシート懐かしい。キハ58を使った急行運用はJR化後は当たり外れが激しく。急行料金同じでも特急車と同じリクライニングシートに交換した車両から、デビュー時からそのままのボックスシートの車両と極端でした。キハ58(65)はまだ列車名でどちらか解りましたが。12系客車での臨時急行などは、正にクジ運でした。外ればっかりの記憶残ってます。
キハ65系の加速は男前ですねそしてキハ53系・キハ23系が健在
2:00 僅かに見える「準急」幕この当時既にはるか昔の種別でしたでしょうね
西舞鶴駅。懐かしい(^^)
西舞鶴はこの時以来訪れてませんが、随分変わったでしょうね。
@@8mm576 西舞鶴出身です。貴重な映像をありがとうございました。感動しました。
ありがとうございます😊
最初の小浜色の列車は天橋立行きということは、北近畿タンゴ鉄道乗り入れだったのですか?
そうです。この頃は、特急や急行も北近畿タンゴ鉄道に乗り入れていました。
私は当時東舞鶴から宮津市の水産高校に列車通学していました。当時の駅の記憶が今でも残っています。
西舞鶴からは北近畿タンゴ鉄道でしたが駅で天ぷらそばを食べたり美味しかったなあ。
今あるゴミ焼却場に当時東舞鶴の駅員をされてた方がいらっしるのですが声をかけたら喜んでご対応下さり懐かしい昔を思い返していました。エーデルなんて久しぶりに映像で拝見でき懐かしさ満載です。ありがとう。
昔は西舞鶴発名古屋行きの、急行大社、夏は東舞鶴発名古屋行きの急行エメラルドもありましたね😊
急行丹後8号、懐かしいです。
網野発、京都行き。
丹後の祖母宅から京都へ帰る時に、いつもこれに乗車して帰りました。
京都発、網野行きの急行丹後1号が、折り返し急行丹後8号になりました。
昭和の時代は高速道路も整備されておらず汽車で帰省する人が多く、GW、お盆、年末年始の時は急行丹後に乗るのに、始発駅である網野駅の外まですでに長蛇の列で人が並んでました。
そのためGW,、お盆、年末年始は増結しても超満員で、当時の新聞にも乗車率260%と記載されてました。
今も時々、もう一度乗りたいな~と思います。
もう25年前の映像になるのですね。
少し先に家具の田中が見えて懐かしいです。
暑い夏にディーゼルのやかましい音がさらに暑さを
感じさせたものです。貴重な映像ありがとうございました。
コメントありがとうございます。キハ28の発電用エンジンの音がとにかくうるさかったですね😵できるだけキハ58を選んで乗るようにしてました。
キハ58系は私の地元(松阪)でも当たり前のように走っていたんですが、引退してもう20年にもなります。
非電化、旧駅舎、キハ58だらけ…最高だ。
懐かしいまだ電化されてない小浜線急行もエーデル北近畿に鳥取あった懐かしい限りです。
8:17で現われる急行「丹後5号」。この後前2両はそのまま普通敦賀行き4943Dに化けますが、当時の時刻表を眺めたら実際にはこのもう1本後というか、10:51で現われる普通「北近畿リレー号」こと279D東舞鶴行き(4両で3番線に到着するが、前2両が東舞鶴行き)が、9:15で出て行った4943Dに東舞鶴で運よく追い付いて接続してくれるダイヤでしたよ。
エーデル北近畿が、懐かしい。スカイブルーとピンクを反転させた、エーデル鳥取もありました。
エーデル鳥取は、満席になることが多く、結局乗れませんでした。エーデル北近畿は1度だけ乗ったことがありますが、運悪く非パノラマ車でした。
キハ58系でオリジナルスタイルかつパノラミックウインドウでない車両は、車内の荷物棚が木綿製の網棚でしたが、いつ破損してもおかしくないという欠点があったため、後年これをステンレス網またはステンレスパイプに更新して耐久性の向上を図りました。またオリジナルスタイルでも福フチにいたキハ28 2441などの後期グループは木綿製の網棚ではなく、支持部分のみをステンレス製とし、網棚に架かる部分はプラスチックパイプを用いるという変わった構造でした(これは後年登場するパノラミックウインドウ車両にもそのまま受け継がれる)。
急行丹後は特急格上げで廃止になるまで、気動車急行のオリジナルスタイルを貫き通したので好きな列車でした。何度か乗りましたが内装は整っており、思ったほど古さは感じなかったように思います。
急行丹後のバケット使用のボックスシート懐かしい。
キハ58を使った急行運用はJR化後は当たり外れが激しく。急行料金同じでも特急車と同じリクライニングシートに交換した車両から、デビュー時からそのままのボックスシートの車両と極端でした。キハ58(65)はまだ列車名でどちらか解りましたが。12系客車での臨時急行などは、正にクジ運でした。外ればっかりの記憶残ってます。
キハ65系の加速は男前ですね
そしてキハ53系・キハ23系が健在
2:00 僅かに見える「準急」幕
この当時既にはるか昔の種別でしたでしょうね
西舞鶴駅。懐かしい(^^)
西舞鶴はこの時以来訪れてませんが、随分変わったでしょうね。
@@8mm576 西舞鶴出身です。貴重な映像をありがとうございました。感動しました。
ありがとうございます😊
最初の小浜色の列車は天橋立行きということは、北近畿タンゴ鉄道乗り入れだったのですか?
そうです。この頃は、特急や急行も北近畿タンゴ鉄道に乗り入れていました。